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越津ネギとモズ君 [菜園]
昨日はN先生と飲みすぎたので、今朝はゆっくりして、午後から第二菜園へ。ネギが甘く甘くなって絶妙の収穫期。あれ?何だか視線を感じるぞ!
あ!やっぱり!でも、こないだとは違う個体で、やや痩せている。
早速、ネギを掘ったあとに着地して、ミミズを掘りだしていた。本音を言えば、ミミズは土を耕すので食べて欲しくはないのだけれど、痩せたモズ君(メス)のために、特別に許しましょう。
まだ人に慣れていないのか、近づくと飛び去ってしまった。まあ、変に慣れると事故に遭うかも知れないので、これくらいの警戒心は大切でしょ。
オオカブはトウ立ちする前にすべて収穫。ニンジンやネギはまだしばらく続きそう。
ソラマメは絶好調!楽しみ楽しみ。
ブロッコリーの側枝蕾が出てきた。これも甘くておいしい。
ロマネスコが手のひらより大きくなった。もう収穫しなくては、と思っていたら、また何か視線を感じる。
やっぱりお前か。物欲しそうな目で見られると、ついつい「しょうがないな」と、予定外の作業をしてしまうことに。
だって、こんな眼でこちらを見るんだもの。ミミズでも探してやるか、という気になりますよ。
一眼レフではなくコンパクトカメラでこんな写真が取れる距離をご想像ください。土の上のミミズにまっしぐら。
というわけで、モズ君が餌採りしている間に私は収穫の続きを。やはりロマネスコは片手に余るくらいの大きさだが、サクサクとして甘そうな感じ。
実にフラクタル。
では、モズ君、また来週。それまで元気でね!
「テンプレート」を脱ぎ捨てて [その他]
この土曜日は、静岡県東部の某高校のN先生が名古屋にいらして、年末に続いて3月に行う講義の打ち合わせ。今度は特別に110分も用意してくれるので、思う存分教えることができる。
打ち合わせといっても、お互い「鉄分」と「アルコール濃度」が高いので、「リニア鉄道館」→「大岡屋はなれ」というコース。鉄道談義や酒談議をしながら、教育の話に花が咲いた。
これまでの教育や医療は、教育内容や医療知識といった「情報」を教員や医師が独占していたので、学生や患者に対して「テンプレート通りの対応」をしていれば、ほぼ間違いがなかった。大半の学生や患者も、テンプレート通りの対話によって当たり障りなく過ごすことを望んでおり、例外を外れる先生はかえって警戒されたり、疎まれた。それは「教育」や「医療」に名を借りた「ロールプレイ」に過ぎず、コミュニケーションとは程遠いものであり、そのことに我々は、大いに不満を感じていた。
ところが、情報ツールの急速な発達によって、「情報」はもはや教員や医師の独占物ではなくなった。学生や患者は、教員や医師と同等に「情報」にアクセスできるようになった。例えて言えば、「魚の釣り方」を教えるのに、これまでは先生が大きな魚を釣ってみせて、「ほら!こんな風にしたら釣れるぞ!お前もこれを真似してみろ!」と言ってテンプレートを示していればよかったのが、これからは、学生のほうが先生より大きな魚を釣ってきたり、「先生が知らない釣りの方法」を探してしてくることができるようになったのだ。
これまでのような「テンプレート通りの教育」に拘泥する先生は、それを脅威と感じ、「権威の失墜」を防ぐために、権威をカサにますます自分のやり方を押し付け、それについてこようとしない学生や患者を「理解力が劣化した」といって否定する。あるいは、慇懃無礼な「お客様扱い」によって、彼らの感じる疑問を表に出せない雰囲気を作る。
それは、これまでの教育や医療がテンプレートに沿った「ロールプレイ」に過ぎなかったことを、見事に顕著化するものだ。テンプレートの否定は、これまで気づいていながら解決を先送りにしてきたコミュニケーション不全の問題を赤裸々にしてしまい、当事者はそれと向き合うことになるのだ。
これからの教育や医療は、学生や患者の知識レベルに応じた疑問点を、教員や医師が一緒に考え、解決してゆくという仕事になる。つまり、ニセモノや毒魚を見抜く方法を教えつつ、簡単に釣れる魚とそうではない魚がいることや、自分の目的とする魚を決め、それをどうやって釣るのかを、学生や患者と一緒に考え、それが出来るようにサポートするのだ。それは、「コミュニケーション」そのものであり、「テンプレート教育」「テンプレート医療」よりも遥かに“やり甲斐”のある仕事だと私は思う。
そんなわけで、私と一回りも年が違う先生を出来る限り支援したいし、彼がのびのびと教育と打ち込めるといいなぁと思うのだ。

ちなみに、リニア鉄道館にはC62 17がいる。17号機は1954(昭和29)年の木曽川橋梁強度試験の際、単機(列車を引かず、単独で走行すること)で時速129kmを記録し、日本ではこれが「狭軌の鉄道の蒸気機関車の世界記録」とされている。そこには「狭軌(線路幅が世界標準の1435mmよりも狭いこと)という絶対的制約の中、日本の鉄道技術は不断の努力によって狭軌で世界一になった」というテンプレート的な美談が伴い、多くの人はそれを“常識”として信じてきた。

ところが、世界の蒸気機関車の技術発達史を知る者は、C62 17の時速129kmが狭軌の世界記録ではないことや、線路幅そのものが決定的要因ではない事を知っている。たとえば、日本と同じ1067mm軌間の南アフリカでは、線路の路盤改良によって機関車重量の制限を緩和する事でボイラーと動輪の大型化に成功し(動輪径1829mm、日本は1750mmが最大)、さらにバルブギアなどを改良する事で高回転を可能にした16E形が1935年に登場し、定期運行の特急を時速70マイル(113km)で走らせ、非公式には内部規則を破る時速140kmを超えた運転もあったという。一方、同じ1067mm軌間ながら日本よりも車両建築限界の制限が大きいニュージーランドでは、動輪径を1372mmに抑えてボイラーを大きくとり、ローラーベアリングを採用する事で高回転を実現したKa型が1939年に登場し、運転時速120km、最高時速137kmに達している。インドネシアのC53形も営業列車で最高時速120kmを達成している。
つまり、制約は線路幅ではなく、機関車重量を支える路盤や線形の土木技術や、ボイラーと動輪径のバランスや、車軸の高回転を生み出せる機械技術のほうにあったのだ。それは当時の国鉄工作局も知っていたはず(島秀雄とのちに国鉄総裁として非業の死を遂げる下山貞則は、1937年に南アに視察に行っている)だが、日本の蒸気機関車は1919年のC51形から1948年のC62形まで、足回りの設計は驚く程変化がなく、バルブギアやベアリングも基本的に前例を踏襲するばかりだった。C62 17の時速129kmは世界記録ではなく、「脆弱な路盤を根本的に改良出来ない技術力や資金力、前例踏襲という枠を超えられない国鉄の技術陣」という日本の事情に最適化された蒸気機関車による「日本記録」なのだ。
我々鉄道ファンは、1913年設計の9600形蒸気機関車が1926年までの13年もの間、ほとんど設計変更のないまま実に784両も製造され、1976年に国鉄最後の蒸気機関車として運転を終えたことも知っている。大正時代に設計された機関車が大した改良もされずに60年以上も重宝がられたのは、日本の蒸気機関車の技術が当時の鉄道システムに最適化された1913年時点でほぼ進化を止めたからであり、その間、在来線の輸送システム自体も、機関車に新しい設計を要求する程には進化しなかった事を示唆しているのではないか。

これは、現在の新幹線や今流行りの探査機「はやぶさ」(打ち上げられたのは2003年で、技術的には過去の遺物)にも通じる問題だろう。新幹線は運行システムとしては世界一かもしれないが、「速度」ではフランスのTGVに抜かれて久しく、定期列車では今や中国にも抜かれている。つまり、日本が誇るべきは「安全性」と「定時運行」「大量輸送」であり、「速度」ではないはずだ。そもそも、現在の日本の乗客が本当に望んでいるのは「世界一の速度」なのだろうか?「安全性」を犠牲にした「最高速度」を誇る何処かの国と競う事に、一体何のメリットが?

これから世界に類を見ないような少子高齢化が進むこの国において、乗客が望むのは「より早く目的地に着くこと」ではなく、「より快適な旅ができること」ではないのか。リニアモーターカーよりも、この2階建て新幹線の食堂車のような楽しい車両を復活させて、より快適で楽しい旅が出来ることのほうが、日本の鉄道の発展の方向性ではないのだろうか。
それにしても、同じくレコードホルダーの新幹線試験車やリニアモーターカーがC6217と並べてあるというのは、まるでどこかの国の為政者が偽りの武勇伝をでっちあげて出自の正統化を図ろうとしているようにも見える、と言ったら言い過ぎかも知れないが、少なくとも、何十年も前の右肩上がりの経済成長に最適化された社会システムにしがみつくあまり、現実に目をつぶって不適応を起こして行き詰まり、「一見、うまくいっているように見えた」過去へのノスタルジーに浸るばかりの日本社会を象徴しているように思える。

そんな鉄分の濃い話をまじえつつ、N先生と楽しい時間を過ごすことができた。さて、今度はどんな講義をしようかな。今から楽しみ楽しみ。
打ち合わせといっても、お互い「鉄分」と「アルコール濃度」が高いので、「リニア鉄道館」→「大岡屋はなれ」というコース。鉄道談義や酒談議をしながら、教育の話に花が咲いた。
これまでの教育や医療は、教育内容や医療知識といった「情報」を教員や医師が独占していたので、学生や患者に対して「テンプレート通りの対応」をしていれば、ほぼ間違いがなかった。大半の学生や患者も、テンプレート通りの対話によって当たり障りなく過ごすことを望んでおり、例外を外れる先生はかえって警戒されたり、疎まれた。それは「教育」や「医療」に名を借りた「ロールプレイ」に過ぎず、コミュニケーションとは程遠いものであり、そのことに我々は、大いに不満を感じていた。
ところが、情報ツールの急速な発達によって、「情報」はもはや教員や医師の独占物ではなくなった。学生や患者は、教員や医師と同等に「情報」にアクセスできるようになった。例えて言えば、「魚の釣り方」を教えるのに、これまでは先生が大きな魚を釣ってみせて、「ほら!こんな風にしたら釣れるぞ!お前もこれを真似してみろ!」と言ってテンプレートを示していればよかったのが、これからは、学生のほうが先生より大きな魚を釣ってきたり、「先生が知らない釣りの方法」を探してしてくることができるようになったのだ。
これまでのような「テンプレート通りの教育」に拘泥する先生は、それを脅威と感じ、「権威の失墜」を防ぐために、権威をカサにますます自分のやり方を押し付け、それについてこようとしない学生や患者を「理解力が劣化した」といって否定する。あるいは、慇懃無礼な「お客様扱い」によって、彼らの感じる疑問を表に出せない雰囲気を作る。
それは、これまでの教育や医療がテンプレートに沿った「ロールプレイ」に過ぎなかったことを、見事に顕著化するものだ。テンプレートの否定は、これまで気づいていながら解決を先送りにしてきたコミュニケーション不全の問題を赤裸々にしてしまい、当事者はそれと向き合うことになるのだ。
これからの教育や医療は、学生や患者の知識レベルに応じた疑問点を、教員や医師が一緒に考え、解決してゆくという仕事になる。つまり、ニセモノや毒魚を見抜く方法を教えつつ、簡単に釣れる魚とそうではない魚がいることや、自分の目的とする魚を決め、それをどうやって釣るのかを、学生や患者と一緒に考え、それが出来るようにサポートするのだ。それは、「コミュニケーション」そのものであり、「テンプレート教育」「テンプレート医療」よりも遥かに“やり甲斐”のある仕事だと私は思う。
そんなわけで、私と一回りも年が違う先生を出来る限り支援したいし、彼がのびのびと教育と打ち込めるといいなぁと思うのだ。
ちなみに、リニア鉄道館にはC62 17がいる。17号機は1954(昭和29)年の木曽川橋梁強度試験の際、単機(列車を引かず、単独で走行すること)で時速129kmを記録し、日本ではこれが「狭軌の鉄道の蒸気機関車の世界記録」とされている。そこには「狭軌(線路幅が世界標準の1435mmよりも狭いこと)という絶対的制約の中、日本の鉄道技術は不断の努力によって狭軌で世界一になった」というテンプレート的な美談が伴い、多くの人はそれを“常識”として信じてきた。
ところが、世界の蒸気機関車の技術発達史を知る者は、C62 17の時速129kmが狭軌の世界記録ではないことや、線路幅そのものが決定的要因ではない事を知っている。たとえば、日本と同じ1067mm軌間の南アフリカでは、線路の路盤改良によって機関車重量の制限を緩和する事でボイラーと動輪の大型化に成功し(動輪径1829mm、日本は1750mmが最大)、さらにバルブギアなどを改良する事で高回転を可能にした16E形が1935年に登場し、定期運行の特急を時速70マイル(113km)で走らせ、非公式には内部規則を破る時速140kmを超えた運転もあったという。一方、同じ1067mm軌間ながら日本よりも車両建築限界の制限が大きいニュージーランドでは、動輪径を1372mmに抑えてボイラーを大きくとり、ローラーベアリングを採用する事で高回転を実現したKa型が1939年に登場し、運転時速120km、最高時速137kmに達している。インドネシアのC53形も営業列車で最高時速120kmを達成している。
つまり、制約は線路幅ではなく、機関車重量を支える路盤や線形の土木技術や、ボイラーと動輪径のバランスや、車軸の高回転を生み出せる機械技術のほうにあったのだ。それは当時の国鉄工作局も知っていたはず(島秀雄とのちに国鉄総裁として非業の死を遂げる下山貞則は、1937年に南アに視察に行っている)だが、日本の蒸気機関車は1919年のC51形から1948年のC62形まで、足回りの設計は驚く程変化がなく、バルブギアやベアリングも基本的に前例を踏襲するばかりだった。C62 17の時速129kmは世界記録ではなく、「脆弱な路盤を根本的に改良出来ない技術力や資金力、前例踏襲という枠を超えられない国鉄の技術陣」という日本の事情に最適化された蒸気機関車による「日本記録」なのだ。
我々鉄道ファンは、1913年設計の9600形蒸気機関車が1926年までの13年もの間、ほとんど設計変更のないまま実に784両も製造され、1976年に国鉄最後の蒸気機関車として運転を終えたことも知っている。大正時代に設計された機関車が大した改良もされずに60年以上も重宝がられたのは、日本の蒸気機関車の技術が当時の鉄道システムに最適化された1913年時点でほぼ進化を止めたからであり、その間、在来線の輸送システム自体も、機関車に新しい設計を要求する程には進化しなかった事を示唆しているのではないか。
これは、現在の新幹線や今流行りの探査機「はやぶさ」(打ち上げられたのは2003年で、技術的には過去の遺物)にも通じる問題だろう。新幹線は運行システムとしては世界一かもしれないが、「速度」ではフランスのTGVに抜かれて久しく、定期列車では今や中国にも抜かれている。つまり、日本が誇るべきは「安全性」と「定時運行」「大量輸送」であり、「速度」ではないはずだ。そもそも、現在の日本の乗客が本当に望んでいるのは「世界一の速度」なのだろうか?「安全性」を犠牲にした「最高速度」を誇る何処かの国と競う事に、一体何のメリットが?
これから世界に類を見ないような少子高齢化が進むこの国において、乗客が望むのは「より早く目的地に着くこと」ではなく、「より快適な旅ができること」ではないのか。リニアモーターカーよりも、この2階建て新幹線の食堂車のような楽しい車両を復活させて、より快適で楽しい旅が出来ることのほうが、日本の鉄道の発展の方向性ではないのだろうか。
それにしても、同じくレコードホルダーの新幹線試験車やリニアモーターカーがC6217と並べてあるというのは、まるでどこかの国の為政者が偽りの武勇伝をでっちあげて出自の正統化を図ろうとしているようにも見える、と言ったら言い過ぎかも知れないが、少なくとも、何十年も前の右肩上がりの経済成長に最適化された社会システムにしがみつくあまり、現実に目をつぶって不適応を起こして行き詰まり、「一見、うまくいっているように見えた」過去へのノスタルジーに浸るばかりの日本社会を象徴しているように思える。
そんな鉄分の濃い話をまじえつつ、N先生と楽しい時間を過ごすことができた。さて、今度はどんな講義をしようかな。今から楽しみ楽しみ。
バレンタイン [料理・お菓子]
親分(妻)にもらったのは、奈良のガトー・ド・ボアの「ゆずのチョコレート」。季節限定で、スプーンですくって食べるのだが、一口食べて赤ちゃんのような満面の笑みを浮かべたらしく、見ていた親分が大笑い。それくらい旨い凄いチョコレート。ごちそうさまです。
我が家の定番、金山のANAクラウン・グランコートホテルのケーキも買ってきてくれた。これまた季節限定のイチゴタルト。うまうま。
こんな感じでパイが乗っている。ここのケーキやパンはコストパフォーマンスが抜群で、つくづく美味しい。
モズ君の季節 [菜園]
先週はこんなに雪が降って、
朝の気温がマイナス5度を下回った名古屋だが、
日曜日はとりあえず第二菜園へ。
ソラマメもエンドウ豆も積雪を乗り切ることができた。やはり、ソラマメに雪除けネットは欠かせないようで、雪除けをしていない周囲の畑の苗は、かわいそうなほど痛んでいた。
でかっ!
でかすぎて、かじった奴がいるようだ。
オレンジカリフラワーもロマネスコも良い感じ。
大カブの収穫開始。早くしないとトウ立ちが始まる。
それにしても大きいが、甘さは十分。
さて、越津ネギでも掘ろうかなとスコップを持ちだしたら、チッチッチッと鋭い鳴き声が聞こえてきた。これはもしかして…。
そう、今年もモズ君(といってもメスなのだが)の季節がやってきた。
何してるのかな?早く掘らないかな?という顔。ごめんね。今日はネギを掘るだけなんだよ。
一生懸命こちらを覗き込む姿を見ているうちに根負けしてしまい、予定外にキャベツの畝を崩して掘っていたら、土に降りてきて足元をちょろちょろして虫をついばむ。そろそろジャガイモの畝を作る頃なので、次回またどうぞ。
そのあと、第一菜園へ。こちらのソラマメも無事。
というわけで、今年もモズ君に会うことが出来て本当に嬉しい。モズ君、来週をお楽しみにね。
贅沢な楽しみ [音楽]
金曜日、仕事が終わってすぐに新幹線で新横浜へ。雪の影響で上りは30分遅れだったので、ex予約を無視し、直近の列車の自由席に飛び乗り、まずは一杯。
向かったのは関内駅近くのJazz is。
この日は「OTONOMA」のライブ。名古屋でも行ってるけれど、噂通り、ここは格別。みんな、とても官能的な演奏で、隣合わせた方と「何だかヤラしいですねぇ」と意気投合。いやぁ、これは本当に凄いセッションで、魂に響きました。
早速、松原正樹さんのオフィシャルウェブサイトにアップされている。4月初めにもあるとのことなので、また行くことにしよう。
http://www.matsubaramasaki.com/official/Video.html

翌日、横浜中華街と元町まで足をのばして散策。実に25年振りくらいで、えらく綺麗になっていてびっくりしたが、路地にはまだ、こんな風景が残っていて、中華街独特のにおいがして嬉しい。
親分(妻)に頼まれ、元町の霧笛楼の売店でチョコレートを購入。そのほか、おなじみの同發の月餅と、イートインで食べて美味しかった王府井の焼きショウロウンポウも買ってきた。
今回初めてex予約を使ったが、取り柄は安いことくらいで、思ったより使い勝手が悪い。まぁ、そんなものか。
それにしても、週末にちょっと足を伸ばして「本物の音楽」を聴きに行けるというのは、本当に贅沢なことだと、つくづく思う。
幸せの瞬間 [音楽]

はじめて「ぷらっとこだま」を使って東京へ。しかも、わざわざグリーン車にしたのには訳がある。こだま650号は東海道新幹線では今や1日9本になった300系。2月1日付で300系の半数が脱落し、3月16日にさよなら運転の予定。

というわけで、300系の乗り納めのつもりでグリーン車を選んだ。ex予約だと普通車指定席でも9300円のところが、ぶらっとこだまのグリーン車は8900円。のぞみより1時間余計にかかるけど、乗り納めは乗ってる時間の長いほうがよいので、かえって好都合。

で、背もたれにあるWEDGE誌を見たら、「うつ100万人」の記事が。こんなところで仕事は思い出したくないが、来年度は産業医業務に忙しくなりそうだなぁ。

期間限定の飛騨路の旅弁当。大変おいしゅうございました。

で、どこへ向かったかというと、さいたまスーパーアリーナ。でかっ!

もちろん、PerfumeのJPNツアー埼玉1日目に参加するため。ホールの向かいの東横インに泊まったが、JPNのバッグを持った宿泊客で溢れていた。通販はまだ届いていないだろうから、みんな、神戸に続いて参戦ってこと!?
コンサートの内容は、キャパの小さい神戸2日目の親近感とはまた違い、それはもう言葉にならないほど凄かった。私の席は400レベルの中でもステージから最も遠い412扉だったが、幸いにも階段の横で、足元さえ気をつければ踊るスペースは十分。2曲目のレーザー乱射の凄さは鳥肌もので、飛び交うレーザーの下にアリーナ席が霞んで見える俯瞰状態。これは、この位置からしか見られない凄い演出で、さすがはTEAM Perfume。神戸の神席のような「のっちのニキビあとがわかるような距離」も良いけれど、この高さの席でしか楽しめない演出があるんだなぁと感動。
のっちはいきなり「噛み様」が降臨。あ~ちゃんが震災のことについてここまで詳しく言及したのは、たぶん初めて。その内容は私が震災直後にブログに書いたこととほぼ同じで、「被災者のことを理解した気になって勝手に悲しんだり、勝手に心配したり、勝手に騒いだりするよりも、被災地以外の人は日常生活をしっかりとおくることが、何よりの復興協力になるはず」「中途半端に不安になったり、騒いだり、萎縮したりするのではなく、これまで以上に夢を追いかけて元気でいよう」という趣旨だった(あくまで私の理解であり、異論はあるはず)。そう言えば首都圏もあの日、直接の犠牲者が出た場所であり、メンバーや観客の多くはあの本震の揺れや余震を肌感覚として経験しているんだなあ、とか、親分(妻)と連絡が取れなかった数時間の焦燥が頭をよぎったりと、一瞬のうちに色々な事を考えて目頭が熱くなった。JPNツアーにかけるあ〜ちゃんの思い、ちゃんと伝わりました。
で、アリーナ後方にあるJPNの台は一体何だろうと思っていたら、アンコールの時にスーツ姿の警備員がアリーナ通路にさっと配置され、それはそれは見事なサプライズ!しかも、リアル「もやしもん第3巻 ステンレス槽」。そりゃあレギンスなのは分かっていても、隣の男子高校生2人は鼻血出しそうな勢いでガン見。私は大人の照れがあるので、あんまり見てません(><)でも、こんな“ご褒美”があるなんて、つくづく400レベルで良かったなぁ(;;)
それにしてもあ~ちゃんは、あんなピンヒール履いてよくあんな速さで走れること。のっちがかしゆかの鈍足に合わせて一緒にヨタヨタ走っていたのも、のちお君全開のナイトっぷりで、惚れ惚れし。やっぱり、のっちってつくづくいい子だわ~。
というわけで埼玉では、コンサート後の某巨大掲示板で「400連隊」と呼ばれた400レベルの後方が本当の神席だったのかも。あ~ちゃんは「初めてPerfumeのコンサートに来てまだ緊張してる人も、それぞれのやり方で“自分を解放して”、照れずに楽しんでくれたらいい」と言っていた。その通り楽しむことができた。

で、終了直後、スクリーンに追加公演が告知されて大歓声!私も、ホテルに帰ってすぐにJALのマイレージ数を見て特典航空券で行けることを確認し、ただちに那覇市内の某ホテルを仮押さえ。PTA会員の抽選ですら来月中旬以降だというのに、気の早いこと。

会場の外に出はまだ雪が残っていて、火照った身体と気持ちをゆっくりと冷ましてくれる。つくづく、Perfumeのファンであること、この時間を共有出来る事を幸せに思う。

今日は、親分に頼まれた東京駅の駅ナカの「風の土」の五所川原のリンゴを使ったタルトタタンと、私が見つけた「ガトー・マスダ」のタルトタタンを買って帰った。ガトーマスダのほうは、今日が出店最終日で、これこそが私のイメージするタルトタタン。夕食の後に食べたら、それはもう美味しくて、親分も大喜び。これで沖縄行きを許してもらえそう。

晩酌は、私の大好きなアルザスのマルク・テンペのピノブラン。金曜日に久屋大通の「まるこほーる」で見つけた。

これがなんと、輸入代理店の「ディオニー」の創立10周年の特別キュベ「ひとめぼれ」。京都の試飲会でお会いした、あの和服の社長のディオニー。期待した通り、辛口なのにハチミツの香りと舌触りが広がり、続いて、見事な酸とミネラルがあとを引く。しっかり冷して大きなグラスで温度を上げながら飲んだら、1万円位と勘違いされそうな品質。でも、本当の価格はその4分の1以下。見事にテンペらしいワイン。明日追加購入しよう。
本物の民主主義 [雑感]

こういう画像が作られるあたり、アメリカも捨てたもんじゃないなぁと思う。
本物の民主主義とは、「誰かに任せておけばうまくやってくれるだろう」とか「強気の発言をしておけば、あとは誰かが後始末をしてくれるだろう」ではない。まして、冷戦時代の遺物のような、「政治が悪い」「政府が悪い」と叫んで「団結」していれば何もかも解決するという「妄想」でもない。現在考えられうる「本物の民主主義」とは、ロン・ポールを初めとする“本物の”リバタリアンに他ならないと、私は思う。
外国に対して強硬姿勢を唱えるなら、それはすなわち、自分自身がそれに従い、武器を持って前線に立つ覚悟を要する。「自衛隊や軍隊(すなわち他人)がうまくやってくれる」のではなく、政府の方針を選択をした自分自身こそが、その責務を負う。それが「民主主義」ではないか。その覚悟がないなら、出来ないことを唱えるのではなく、平和裏に解決する方針を「選択」するべきなのだ。「自分に出来ないことは、他人にも政府にも求めるな」「自分や自国がされて嫌なことは、他人や他国にするな」。それはまさしく、ロン・ポールの主張であり、それこそが日本の誇る「武士道」であろう。
「武家のたしなみ」とは、「帯刀する代わりに、責任が生じた場合はその刀で切腹する覚悟があること、万が一の時は他人の刀で切られる覚悟があること」だ。まことしやかに「武士道」を尊ぶ自称・愛国主義者の中年オヤジたちに、その「覚悟」はあるのだろうか?
今こそ「年齢・性別を問わず、徴兵制を行う時」では?「自分たちが選択を誤ったら、戦争に行かされて死ぬかもしれない」という緊張感=当事者感覚があれば、国政選挙で棄権なんてしてられないでしょう?無駄死にしたくないなら、そういう政策を選べばいいのです。ノルディック・バランス(北欧の均衡)という見本もありますよ。みんな、「北欧」を見本にするのは大好きでしょ?(笑)
だからアメリカ人は殺される、あるいは「私がロン・ポールを支持する理由」 [雑感]

来月バンコクに出張する私にとっては、「いやあ、参ったなぁ」の報道。

http://bangkok.usembassy.gov/011312emergencymessage.html
確かに、在バンコクのアメリカ大使館はそう言ってますなぁ。
でもね、↓こんなことをしてたら、アメリカ人が狙われて当然だとも思うのですよ。

---引用ここから---
「殺す」「殺せ」に大喝采…米共和党TV討論会
(読売新聞 1月18日(水)10時14分配信)
【ワシントン=中島健太郎】米大統領選で共和党候補指名を争う5氏によるテレビ討論会が16日、南部サウスカロライナ州で開かれた。
21日に予備選が行われる同州は保守的な共和党支持者が多いとされ、候補の多くが安全保障問題でタカ派の主張を繰り広げた。
アフガニスタンの旧支配勢力タリバンの最高指導者オマル師がパキスタンに潜伏していた場合の対応を問われ、ミット・ロムニー前マサチューセッツ州知事(64)は、「タリバンは米国人を殺している。我々は世界中のどこにでも行き、彼らを殺す」と主張した。
ニュート・ギングリッチ元下院議長(68)は、サウスカロライナ州と縁が深い第7代のジャクソン大統領に触れ、「13歳で独立戦争を戦った彼は、米国の敵について明快な考えを持っていた。『殺せ』ということだ」と言い切り、会場から大きな拍手がわいた。
一方、「小さな政府」の推進から在外米軍撤退を主張するロン・ポール下院議員(76)は「自分たちの国にしてほしくないことは他国にもすべきではない」と語り、ブーイングを浴びた。
( 最終更新:1月18日(水)10時14分)
---引用ここまで---
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120118-00000240-yom-int
だからアメリカ人は、世界中でテロの標的になるのでは?
「敵対する相手は殺してしまえ」というのは、「敗者の論理」に他なりません。勝者は、敵から学び、敵を利用し、ときに敵を味方につけようとします。逆に言えば、それが出来なければ、いつまでたっても「矮小な敗者」です。なぜなら、いつまでたっても敵と同じレベルに留まるからです。勝てるはずなど、ありません。
「富裕層の支持する保守政党」のイメージが強い共和党が、実際にはプア・ホワイト層に支えられ、「敗者の論理」や「ルサンチマン」に捉われているというのは、本当に興味深いです。そして、日本の「自称・保守」の人達の大半にも、同様の傾向が見られる気がします。彼らの「自分たちを正当化するための『敵』を想定しないと、存在理由が揺らぐ」「相手を攻撃する時は大義名分を掲げて饒舌になるが、自分たちへの批判に対しては観念的な反論に終始する」という特徴は、彼ら自身が嫌うサヨクや中共政府や北朝鮮などと、まるで変わらないです。
それにしても、「自分たちの国にしてほしくないことは他国にもすべきではない」というごく当たり前の倫理観、少なくとも「日本に最も馴染みの深い道徳観」を備えている共和党の大統領候補は、今やロン・ポールだけなんですよね。だから私は、この人に興味を持ってしまうのです。

他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ ―リバータリアン政治宣言―
- 作者: ロン・ポール
- 出版社/メーカー: 成甲書房
- 発売日: 2011/03/19
- メディア: 単行本
『思い思いの「思い」』@のっち [音楽]
あ~ちゃんから「ネタバレ禁止令」が出ているので、詳しくは書きません。
でもね!でもね!もう、最高!「あんなに深く考えられた構成のステージ」を見たのは久し振り。何より、「こんなに愛のあるステージ」は初めてで、本当に幸せでした。
開演前の舞台を見て「どうしてライトがあんな低いところにあるのか?」と思いましたよ。でも、それにはちゃんと意味があるんですね。「瓦礫」が天に昇華するんですね(;;)「現実」を見据えてこその「未来」ですよね!
「破壊→再生→創造」と続く楽曲、そして“コミュニケーション”の歌。私も、昨日の会社の新年会のスピーチで引用して、「再生と創造とコミュニケーション」の話をしましたよ。
Perfumeって本当に素晴らしいです。いちいち凄いです。つくづく「愛」が溢れてます。
個人的には、ステージサイドのスタンド席前列が「神席」と呼ばれる理由がよくわかりました。だって、のっちのニキビあとも、かしゆかのホクロも、あ~ちゃんの奥歯でさえ見えるんです!そりゃあ、取り乱しましたとも!中学生男子みたいに、目線が合うたびに恥ずかしくて下向きましたよ。アリーナの奥よりも、こっちのほうがよっぽど良いです。ありがとう!ローソンチケット!
これから行くのは埼玉、名古屋×2、広島、もう幸せったらありゃしないヽ(^o^)丿
OSと脳 [雑感]
今年は公私共に忙しくなりそうなので、夕食後にデスクトップPCの前に座る時間をなるべく短くしたい。そのためには、定期的なメールチェックやブラウズ、ブログ作成などを昼休みや移動中などの隙間時間に済ませたい。
さらに、大学の講義資料や鉄道関係の文書を作成するための資料を電子化し、端末間で共有化して隙間時間に読みたい。そうすることで、何かしようとするたびに起こる「膨大な紙の資料との格闘」をなるべく省略したい。
さらに、大学の講義資料や鉄道関係の文書を作成するための資料を電子化し、端末間で共有化して隙間時間に読みたい。そうすることで、何かしようとするたびに起こる「膨大な紙の資料との格闘」をなるべく省略したい。
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